『徒然草』第150段「能をつかんとする人」 ~兼好流スキルアップ術~

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古典作品を現代人に役立つ形で紹介していく「役立つ古典」です。

 

今回は「兼好流スキルアップ術」と題して『徒然草』第150段「能をつかんとする人」をご紹介します。

徒然草とは

今から700年くらい前(鎌倉時代末)の日本で、兼好法師(けんこうほうし)という人物が書いた随筆(エッセイ)というジャンルの文章です。

 

難しいことは分からないという人は、兼好法師という隠居オジサンが、豊富な人生経験をもとに、考えたことを思いつくままに書きつづった文章と思っていただければOKです。

 

詳しくをお読みになりたい方はぜひこちらをご覧ください。

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『徒然草』第116段「寺院の号、さらぬ万の物にも」~キラキラネームの歴史~

2020年5月5日

それでは本日の文章を見ていきましょう。

第150段「能をつかんとする人」現代語訳

ナナマツ的現代語訳~意訳含みます~

 

 何かスキルを身につけようとする人が「まだ下手くそなうちは、人に知られないようにしよう。こっそりと上達してから人前に出ていったらすごくかっこいいだろう。」といつも言っているようだが、こんなことを言う人間は、1つのスキルも身につけることは出来ない。

 

 まだ全く未熟な初心者のうちから、上手な人の中にまじって馬鹿にされ、笑われるのも恥ずかしがらず、平気でやり過ごして、好きだからと続けている人は、センスがなくても停滞せず、またいい加減なやり方をしないので、センスがあって努力をしない人よりも、最終的には上のレベルに達し、権威も備わり、世間にも認められて、並ぶもののない名声を得るのである。

 

 超一流の達人と言われる人も、最初は未熟という評価で、ひどい欠点もあった。けれどもその人が、その道の掟を大切にしてデタラメなことをしないので、世の中に認められ、「万人の師」と呼ばれるようになることは、どんな道においても変わるはずのないことだ。

 

 

第150段「能をつかんとする人」原文

第150段「能をつかんとする人」原文

 

 能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに、人に知しられじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。

 

 いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、そしり笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ、人にゆるされて、双なき名を得る事なり。

 

 天下の物の上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。

 

<言葉の意味>

・能…能力・特に芸能に関するもの

・堅固…全然・全くの

・かたほ…未熟なここ

・骨…天性の能力

・なづむ…停滞する

・堪能…その道に優れ才能があること。

・瑕瑾…欠点

・放埒…好き勝手にすること

第150段「能をつかんとする人」解説

「こっそりと練習しておいて上手になってから発表したらかっこいいなあ。」

 

誰もが持ったことのあるこうした甘い誘惑を、兼好法師は真っ向から否定します。

 

彼に言わせれば「そんなことをしている人間は1つのスキルも身につけられない」のです。

 

上達のために必要なことはただ1つ、初心者のうちから上手な人たちの中に交じり、時に笑われ、恥をかきながら、それでも気にせずに努力を続けていくことです。

 

それを出来た者だけがスキルを上達させ、最終的には人に認められるような存在(名人)になっていく。これがどんな道でも変わることのない真理だと兼好法師は教えてくれています。

 

今日のまとめ

恥をかき、笑われても気にせず続けた人だけがスキルアップできる。