現代語で読むざっくり古典『方丈記』3「治承の辻風」

古典作品

 

今回は『方丈記』の第3回「治承の辻風」を読んでいきましょう。治承は令和、平成などと同じ元号で、1177年~1181年の期間に使用されました。平清盛が絶大なる権力を誇っていた頃で、源平の合戦が始まる時期でもあります。

 

辻風はつむじ風のことです。厳密に言えば別のものなのですが、竜巻をイメージしてもらえればOKです。

 

前回の「安元の大火」に続く災害記録シリーズです。平安京の都の三分の一が灰になってしまった「安元の大火」から3年後の出来事となります。作者鴨長明は20代半ば頃のことでした。

 

現代語で読む「治承の辻風」

 

治承4年4月ごろ、中御門京極なかみかどきょうごくのあたりから、大きな竜巻が発生して、六条のあたりまで吹いたことがありました。

 

300m、400m四方を吹きまくる間に、大きい家も小さい家も、1つとしては破壊されないものはなかった。全壊した家もあり、柱や骨格だけが残った家もある。また門を400、500メートルのかなたへ移動させたり、家と家の間の垣根を吹き飛ばして、隣の家と1つの家に変えてしまったりもした。

 

家の中にある貴重品は空中に飛ばされ、屋根の板はまるで冬の木の葉が風で吹かれて舞っているかのようである。

 

細かいほこりが煙のように吹き上がっているので、まったく前も見えないほどで、音もものすごいので、人が話す声も聞こえない。地獄の業風ごうふうであってもこれほど激しくはないだろう。

 

家が破壊されただけではなく、後片付けや修理をしている間に、ケガをしたり、障害を負ってしまった人は数えきれない。この竜巻は南南西の方角に進んでいき、多くの人が嘆き悲しむこととなった。

 

竜巻はよく発生するものではあるけれど、これほどのものは見たことがなく、ただ事ではない。何かしらの神や仏のお告げなのではないか、と疑いたくもなりました。

 

キーワード解説

もう少し詳しく知りたい方はこちらもぜひご参照ください。

中御門京極

平安京は、唐の都長安をまねて作られた町並みで、碁盤ごばんの目のように東西南北に直線状の街路が張り巡らされていました。

 

そのひとつひとつの街路に、〇〇大路おおじ・△△小路こうじという名前が付けられていました。そしてそれぞれの通りがぶつかる交差点のところは、通りと通りの名前を合わせて表記されました。

 

中御門京極なかみかどきょうごくというのは、中御門大路なかみかどおおじ東京極大ひがしきょうごく路がぶつかるところであり、平安京の東端の辺りになります。

神や仏のお告げ

昔阪神タイガースに「神のお告げだ」と言って入団後すぐに帰国してしまった大物助っ人外国人選手がいました。

 

それはさておき、当時の人々は、科学技術も発達していなかったため、何かの災害や常識では説明のつかないような出来事があると、「神のお告げ」や「たたり」だというように考えたようです。