『徒然草』第18段「人は己れをつづまやかにし」~ミニマリズムのすすめ~

徒然草第18段のアイキャッチ画像 古典作品

 

現代を生きる皆さんに、古典作品を、楽しく・役に立つ、そんな視点でご紹介していく「現代人に役立つ古典」の時間です。

 

今回も『徒然草』から第18段「人は己れをつづまやかにし」を取り上げます。

 

徒然草とは

今から700年くらい前(鎌倉時代末)の日本で、兼好法師(けんこうほうし)という人物が書いた随筆(エッセイ)というジャンルの文章です。

兼好法師という名前の隠居したオジサンが今まで見たこと、聞いたこと、考えたことなどを思いつくままに書きまくったら出来た作品だと思っていただければOKです。

 

詳しくをお読みになりたい方はぜひこちらの記事をご覧ください。

徒然草第116段のアイキャッチ画像

『徒然草』第116段「寺院の号、さらぬ万の物にも」~キラキラネームの歴史~

2020年5月5日

それでは見ていきましょう。

第18段「人は己れをつづまやかにし」現代語訳

 

ナナマツ的現代語訳~意訳含みます~

 

 人間は身を質素にして贅沢せず、世の中の名誉や利益を欲張らないでいようとするのが素晴らしいことであるはずだ。昔から賢者がお金持ちであることはまれである。

 

 中国の許由(きょゆう)という人は、全く蓄えた金品もなくて、水も手ですくい上げて飲んでいた。それを見て「なりひさご」というひょうたんを人がくれたのだが、ある時、木の枝に掛けていた「なりひさご」が風に吹かれてカラカラと鳴ったので、うるさいと思って捨ててしまった。そしてまた水を手ですくって飲んだ。こういう質素な生活をする人はどんなに心がすがすがしかっただろう。

 

 また孫晨(そんしん)という人は、冬の時期にも寝具がなくて、ワラが一束あったので、夕方にはそこで寝て朝にはそれを片付けた。中国の人はこういう人を素晴らしいと思うから、記録に残して後世に伝えたのであろう。我が国の人はそういう人を語り伝えてもいない。

 

第18段「人は己れをつづまやかにし」原文

 

第18段 原文

 

 人は己れをつづまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世をむさぼらざらんぞいみじかるべき。昔より賢き人の富めるは稀なり。

 

 唐土に許由といひつる人は、さらに身にしたがへる蓄へもなくて、水をも手してささげて飲みけるを見て、なりひさごといふ物を人の得させたりければ、ある時木の枝にかけたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また手にむすびてぞ水も飲みける。いかばかり心のうち凉しかりけん。

 

 孫晨は冬の月に衾なくて、藁一束ありけるを、夕にはこれに臥し、朝にはおさめけり。唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記しとどめて世にも伝へけめ。これらの人は、語りも伝ふべからず。

 

【言葉の意味】

・つづまやか…質素であること

・唐土…中国のこと

・許由…中国古代の賢人の名前

・なりひさご…瓢箪(ひょうたん)のこと

・かしかまし…やかましい・うるさい

・孫晨…中国の伝説的人物の名前

・衾…寝具の一種・掛け布団のようなもの

 

第18段「人は己れをつづまやかにし」解説

山の画像

最近はものを持たないミニマリストの人が増え、ブームになっていますね。

 

必要以上に物を持たず、身軽に暮らすというライフスタイルは、モノや情報にあふれた現代においては、かえって豊かさを感じられるものなのかもしれません。

 

実はこうしたミニマリストの生き方は、最近になって急に現れたものではないというのが今回の章段を読むと分かります。

 

水を飲むための器を捨ててしまった許由、布団すら持たない孫晨。この人たちはまさしく古代中国でミニマリストの生き方を実践していた例です。(ミニマリストしぶさんも布団ではなく床で寝ていた時期があったそうです。)

手ぶらで生きるアイキャッチ画像

『手ぶらで生きる』から学ぶミニマリストの5つの思考

2020年4月23日

 

昔から賢者は人里離れた山の中でひっそりと暮らしているのが相場というものです。

 

「竹林の七賢」、『三国志』の「孔明」、『ぼのぼの』の「スナドリネコさん」などもそうですね。そして兼好法師もそうした賢者の生き方に憧れた1人であるからこそ、700年も前にこの話を取り上げているのでしょう。

 

「質素に贅沢をせず、富や名誉を欲張らない」そんな生き方を心掛けたいものですね。

今日のまとめ

ミニマリズムは賢者の生き方である

 

最後までお読みいただきありがとうございました。少しでも古典に興味を持っていただけると嬉しいです。